ピアノ演奏者(初心者〜中級者)のための無料楽譜のリンク集を作成しました。主に音楽教室でよく取りあげられる練習曲、クラシック音楽の定番のレパートリー曲を集めています。すべてIMSLP(国際楽譜ライブラリープロジェクト)にリンクしています。
練習曲は作曲家ごとにだいたい難易度順、レパートリー曲は作曲家の生まれ年の順に並べました。作曲家に関する解説記事(Wikipedia)へのリンクも併せて貼ってあります。また、以下の記事ではクラシック音楽の作曲家100人を案内しています。本記事でとりあげている作曲家たちが音楽史のなかでどのように位置付けられるのか、本記事と併せて眺めていただくことで、その概略をみることができると思います:
- 楽譜pdfダウンロードの手順
- 教本・練習曲
- レパートリー曲
- ラモー(1683-1764)
- ヘンデル(1685-1759)
- スカルラッティ(1685-1757)
- バッハ(1685-1750)
- ダカン(1694-1772)
- モーツァルト (父)(1719-1787)
- ゴセック(1734-1829)
- モーツァルト(1756-1791)
- ベートーヴェン(1770-1827)
- アンダーソン(1793?–1876?)
- シューベルト(1797-1828)
- メンデルスゾーン(1809-1847)
- ショパン(1810(09?)-1849)
- シューマン(1810-1856)
- ワーグナー(1813-1883)
- オースティン(1813-1870)
- エルメンライヒ(1816-1905)
- ランゲ(1830-1889)
- ブラームス(1833-1897)
- バダジェフスカ(1834(8?)-1861)
- チャイコフスキー(1840-1893)
- ドヴォルザーク(1841-1904)
- フォーレ(1845-1924)
- マリー(1852-1928)
- ミーチャム(1856-1909)
- エルガー(1857-1934)
- ドビュッシー(1862-1918)
- サティ(1866-1925)
- ジョプリン(1867(8?)-1917)
- ラフマニノフ(1873-1943)
- ラヴェル(1875-1937)
- 滝廉太郎(1879-1903)
- レスピーギ(1879-1936)
- バルトーク(1881-1945)
- プロコフィエフ(1891-1953)
楽譜pdfダウンロードの手順
本記事のリンク先では、以下の手順にしたがって楽曲のpdf楽譜を無料で入手することができます:まず、記事本文中の楽譜へのリンクをクリックすると、次のようなIMSLPのページが表示されます。
同じ楽譜でもいくつかpdfのバージョンがあるので、画質やファイルサイズ等を見比べ、気に入ったものをクリックします。いまの例の場合、上から2つ目のバージョンを選んだとして、次に示す赤枠で囲った部分をクリックします:
すると次のような免責事項の確認が表示されます。
赤枠の部分
をクリックして免責事項に同意すると、15秒のカウントが始まります
少し待つと次のような表示に変わり
楽譜のpdfを表示する準備が整います。赤枠の部分をクリック
すると楽譜のpdfが表示されるはずです。あとはpdfをご自身のPC等に保存して利用することができます。
もちろんコピー機等で印刷することも可能です。
教本・練習曲
バイエル(1806-1863)
フェルディナント・バイエル(Ferdinand Beyer、1806年7月25日 - 1863年5月14日)は、ドイツの作曲家、ピアニストです。1850年頃に著した『ピアノ奏法入門書』(Vorschule im Klavierspiel op. 101)、いわゆるバイエルピアノ教本は、ピアノを学ぶ者に最適な入門書として日本で長く親しまれています。
ピアノ教則本
ご存知バイエルのピアノ教則本です。下のほうで紹介しているル・クーペの『ピアノのABC』、グルリットの『初心者のための54の小練習曲』も良い入門書だと思います。また、入門レベルから使える相補的な教材として、バルトークの『ミクロコスモス』もあります。バイエルは伝統的な古典派音楽に沿っていますし、ル・クーペはハ長調以外の調や、単純な三和音以外の和音が比較的早い段階から導入されています。バルトークは旧来の長音階・短音階とは異なる調性感だったり、対位法的な手法が早い段階から提示されているなど、それぞれ独自の特色があります。好みや習熟の度合いに合わせて、バイエル以外を選ぶこともありかもしれません。
ブルグミュラー(1806-1874)
ヨハン・フリードリヒ・フランツ・ブルクミュラー(Johann Friedrich Franz Burgmüller、1806年12月4日 - 1874年2月13日)は、ドイツ生まれの作曲家・ピアニストで、日本では入門期のピアノ教則本「易しく段階的な25の練習曲 作品100」などでよく知られています。ドイツのレーゲンスブルクで生まれましたが、1832年以降はパリを中心に活動しました。
25の練習曲
ブルグミュラーの25の練習曲は、バイエル終了程度からの練習曲集として、音楽教室でもよくとりあげられる人気の曲集です。各練習曲にはタイトルがついており、さまざまな曲想をピアノで表現するための練習曲として、やはりバイエル終了程度から使われることの多いツェルニー(30番)とはまた違った面で、メカニカルな技術面だけでないピアノ演奏の面白さが学べます。また、同様のコンセプトで技術的にも同程度の曲集として、下に載せているグルリットの『35のやさしいエチュード』があります。25曲各曲の表題は以下の通りです:
- 素直な心(すなおな心) - La Candeur
- アラベスク - L' Arabesque
- 牧歌(パストラル) - La pastoral
- 子供の集会(小さなつどい) - La petite Reunion
- 無邪気 - Innocence
- 進歩 - Progres
- 清い流れ(清らかな小川) - Le Courant limpide
- 優美(優しく美しく) - La Gracieuse
- 狩猟(狩) - La hasse
- やさしい花 - Tendre Fleur
- せきれい - La Bergeronnette
- さようなら(別れ) - L' adieu
- なぐさめ(コンソレーション) - Consolation
- スティリアの女(シュタイヤー舞曲[6]) - La Styrienne
- バラード - Ballade
- 小さな嘆き(ちょっとした悲しみ) - Douce Plainte
- おしゃべり(おしゃべりさん) - La Babilarde
- 心配(気がかり) - Inquietude
- アベ マリア - Ave Maria
- タランテラ - La tarentelle
- 天使の声(天使の合唱) - L' Harmonie des Anges
- 舟歌(バルカロール) - Barcarolle
- 帰途(再会) - Le Retour
- つばめ - L' Hirondelle
- 貴婦人の乗馬(乗馬) - La Chevaleresque
ツェルニー(1791-1857)
カール・ツェルニー(Carl Czerny、1791年2月21日ウィーン - 1857年7月15日同地)は、オーストリアのピアノ教師、ピアニスト、作曲家です。ベートーヴェン、クレメンティ、フンメルの弟子で、リストおよびレシェティツキの師です。未出版のものを含めて1,000曲以上の作品を残した多作家でしたが、現在は実用的なピアノ練習曲を数多く残したことで有名な存在です。
クラーマー(1771-1858)
クラーマー=ビューロー 60の練習曲
モシュレス(1794-1870)
イグナーツ・モシェレス(Ignaz Moscheles、1794年5月23日 - 1870年3月10日)は、チェコ出身の作曲家およびピアニストです。サリエリから作曲を習い、ウィーンではヴィルトゥオーゾを牽引する人物でした。ウィーン時代にモシェレスはベートーヴェンに会っており、良好な関係はベートーヴェンの死に至るまで続きました。また当時15歳だったフェリックス・メンデルスゾーンにレッスンを施しており、親密な付き合いは1847年にメンデルスゾーンが没するまで続きました。
ル・クーペ(1811-1887)
フェリクス・ル・クーペ(Félix Le Couppey, 1811年4月14日 - 1887年7月4日)は、フランスの音楽教師、ピアニスト、作曲家です。パリに生まれたル・クーペは、パリ音楽院でヴィクトル・ドゥルランに師事し、17歳になる頃には和声学の助教授になっています。1843年にはドゥルランの後任として和声学と伴奏でも教授になりました。彼の門下にはエドゥアール・バティスト、セシル・シャミナードらがいます。
ピアノのABC
グルリット(1820-1901)
コルネリウス・グルリット(Cornelius Gurlitt, 1820年2月10日 - 1901年6月17日)は、ドイツの作曲家です。ホルシュタイン公国のアルトナに生まれ、カール・ライネッケの父ヨハン・ルドルフ・ライネッケに音楽を学びました。後にライプツィヒ音楽院ではカールの同級生になりました。ピアノの初心者のために書かれた、サロン・ピースの形をとる練習曲が知られています。
初心者のための54の小練習曲
ユーゲント・アルバム
モシュコフスキ(1854-1925)
モーリツ・モシュコフスキ(Moritz Moszkowski、1854年8月23日 ヴロツワフ - 1925年3月4日 パリ)はポーランド出身のユダヤ系ピアニスト、作曲家、指揮者です。今日ではあまり有名とはいえませんが、生前は高い尊敬と人気を集めたピアニストでした。また、ピアノ学習者がショパンのエチュードの導入などに習う「15の熟練のための練習曲 15 Études de Virtuositié 作品72」の作曲者として名を知られています。
16の技術練習曲
ハノン(1819-1900)
シャルル=ルイ・アノン(Charles-Louis Hanon, 1819年7月2日 - 1900年3月19日)は作曲家、ピアノ教師、オルガニストです。日本ではハノンの呼び名で知られています。ピアノの教則本「60の練習曲によるヴィルトゥオーゾ・ピアニスト」が有名で、今日のピアノ教師にとって標準的な教材の一つとなっています。
ドホナーニ(1877-1960)
ドホナーニ・エルネー(Dohnányi Ernő, Ernst von Dohnányi, 1877年7月27日 - 1960年2月9日)は、ハンガリー人のピアニスト、作曲家、指揮者です。音楽学校ではバルトークと同窓生に当たりますが、ドホナーニ自身はブラームスの流れを汲んでおり、19世紀ロマン主義音楽の伝統に忠実であり続けました。
ソナチネアルバム
【収録曲】
- クーラウ : ソナチネ 作品20-1 ハ長調
- クーラウ : ソナチネ 作品20-2 ト長調
- クーラウ : ソナチネ 作品20-3 ヘ長調
- クーラウ : ソナチネ 作品55-1 ハ長調
- クーラウ : ソナチネ 作品55-2 ト長調
- クーラウ : ソナチネ 作品55-3 ハ長調
- クレメンティ : ソナチネ 作品36-1 ハ長調
- クレメンティ : ソナチネ 作品36-2 ト長調
- クレメンティ : ソナチネ 作品36-3 ハ長調
- クレメンティ : ソナチネ 作品36-4 ヘ長調
- クレメンティ : ソナチネ 作品36-5 ト長調
- クレメンティ : ソナチネ 作品36-6 ニ長調
- ハイドン : ピアノソナタ第35(48)番 ハ長調 作品30-1 Hob. XVI:35
- モーツァルト : ピアノソナタ第16(15)番 ハ長調 K.545
- ベートーヴェン : ピアノソナタ第20番 ト長調 作品49-2「やさしいソナタ」
- ベートーヴェン : ピアノソナタ第19番 ト短調 作品49-1「やさしいソナタ」
- デュセック : ソナチネ 作品20-1 ト長調
- J.S.バッハ : 前奏曲 ハ長調 BWV 846 (「平均律クラヴィーア曲集 第1巻」より)
- ハイドン : アダージョ ホ長調 (弦楽四重奏曲第74番 ト短調 作品74-3「騎士」 第2楽章より)
- ハイドン : アンダンテ・グラツィオーソ 変ロ長調 (弦楽四重奏曲 作品74-2 第2楽章より)
- ハイドン : アレグロ ヘ長調 (弦楽四重奏曲第73番 ヘ長調 作品74-2 第4楽章より)
- ハイドン : アンダンテ ハ長調 (交響曲第94番 ト長調「驚愕」 第2楽章より)
- モーツァルト : ロンド ニ長調 K. 485
- ベートーヴェン : 2つのロンド 作品51 第1番 ハ長調
- ベートーヴェン : アンダンテ (交響曲第1番 ハ長調 作品21 第2楽章より)
- シューベルト : 即興曲 作品142 D.935-3 変ロ長調 (主題部分)
- シューベルト : 2つのスケルツォ D.593-1 変ロ長調
- シューベルト : アンダンテ (ピアノソナタ第13番 イ長調 作品120 D.664 第2楽章)
- ウェーバー : ビアンキ『ここにおいで、美しきドリーナよ』の主題による変奏曲:主題と第1変奏
- メンデルスゾーン : 幻想曲 作品16-1 イ短調
ソナタアルバム
【収録曲】
第1巻
- Haydn: Keyboard Sonata in C major, Hob.XVI:35
- Haydn: Keyboard Sonata in G major, Hob.XVI:27
- Haydn: Keyboard Sonata in D major, Hob.XVI:37
- Haydn: Keyboard Sonata in C-sharp minor, Hob.XVI:36
- Haydn: Keyboard Sonata in E minor, Hob.XVI:34
- Mozart: Piano Sonata No.16 in C major, K.545
- Mozart: Piano Sonata in F major, K.Anh.135/547a
- Mozart: Piano Sonata No.12 in F major, K.332/300k
- Mozart: Piano Sonata No.5 in G major, K.283/189h
- Mozart: Piano Sonata No.11 in A major, K.331/300i
- Beethoven: Piano Sonata No.19, Op.49 No.1
- Beethoven: Piano Sonata No.20, Op.49 No.2
- Beethoven: Piano Sonata No.25, Op.79
- Beethoven: Piano Sonata No.9, Op.14 No.1
- Beethoven: Piano Sonata No.10, Op.14 No.2
第2巻
- Haydn: Keyboard Sonata in G major, Hob.XVI:40
- Haydn: Keyboard Sonata in E-flat major, Hob.XVI:49
- Haydn: Keyboard Sonata in E-flat major, Hob.XVI:28
- Mozart: Piano Sonata No.2 in F major, K.280/189e
- Mozart: Piano Sonata No.13 in B-flat major, K.333/315c
- Mozart: Piano Sonata No.15 in F major, K.533/494
- Mozart: Piano Sonata No.8 in A minor, K.310/300d
- Beethoven: Piano Sonata No.8, Op.13
- Beethoven: Piano Sonata No.1, Op.2 No.1
- Beethoven: Piano Sonata No.14, Op.27 No.2
- Beethoven: Piano Sonata No.12, Op.26
レパートリー曲
ラモー(1683-1764)
ジャン=フィリップ・ラモー(Jean-Philippe Rameau, 1683年9月25日 - 1764年9月12日)は、バロック時代のフランスの作曲家・音楽理論家です。和声法と調性を体系的に理論化した最初の音楽理論家としても有名です。和音や和声を意味するハーモニーという用語は、ラモーの著作に見ることができます。
ヘンデル(1685-1759)
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(Georg Friedrich Händel、1685年2月23日 - 1759年4月14日)は、ドイツ出身で、主にイギリスで活躍し、イギリスに帰化した作曲家です。バロック音楽における最も重要な作曲家のひとりであり、特にイタリア語のオペラ・セリアや英語のオラトリオの作曲によって知られています。ヘンデルは生前から高く評価され、没後もすぐに神格化され、名声が没後も衰えなかった最初の作曲家でした。
オンブラ・マイ・フ(オペラ『セルセ』から)
リンク先はオペラのスコアで、楽譜のタブにある「Arrangements and Transcriptions」から
該当のアリアのピアノ楽譜が置いてある箇所に辿り着けます(スクロールした下の方です)。
スカルラッティ(1685-1757)
ジュゼッペ・ドメニコ・スカルラッティ(Giuseppe Domenico Scarlatti、1685年10月26日 - 1757年7月23日)は、イタリアのナポリ出身で、スペインのマドリードで没した作曲家です。同年に生まれた作曲家に、J.S.バッハ、ヘンデルがいますが、スカルラッティもその時代の鍵盤曲に新しい用法を取り入れた重要な作曲家です。
バッハ(1685-1750)
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach、1685年3月31日 - 1750年7月28日)は、18世紀のドイツで活躍した作曲家・音楽家です。 バロック音楽の重要な作曲家の一人で、鍵盤楽器の演奏家としても高名であり、当時から即興演奏の大家として知られていました。バッハはバロック音楽の最後尾に位置し、それまでの音楽を集大成した人物として評価されますが、西洋音楽の基礎を構築した作曲家でもあり「音楽の父」とも称されています。
ミュゼット
ダカン(1694-1772)
ルイ=クロード・ダカン(Louis-Claude Daquin、1694年7月4日 - 1772年6月15日)は、フランスの作曲家で、オルガン・クラヴサンの演奏家としても有名でした。パリの音楽家・楽器製造家の一族に生まれ、幼少期から神童の名をほしいままにし、6歳にしてルイ14世のために御前演奏を行ないました。
モーツァルト (父)(1719-1787)
ヨーハン・ゲオルク・レオポルト・モーツァルト(Johann Georg Leopold Mozart, 1719年11月14日 - 1787年5月28日)は、18世紀の作曲家、ヴァイオリニスト、音楽理論家です。ドイツのアウクスブルクに生まれ、オーストリアのザルツブルクで没しました。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの父です。
ゴセック(1734-1829)
フランソワ=ジョゼフ・ゴセック(François-Joseph Gossec, 1734年1月17日 - 1829年2月16日)は、フランスで活躍したベルギー出身の作曲家・指揮者です。長い生涯のうちに、バロック音楽の終焉から初期ロマン派音楽の勃興までに遭遇した音楽家です。現在ではヴァイオリンのための小品「ガヴォット」によって知られているのみですが、交響曲の大家で30曲近くを書いており、「フランス交響曲の父」としての業績があります。またパリ音楽院が創立された際には、作曲の分野における教授として招かれ、教育家としての実績もあります。
モーツァルト(1756-1791)
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart、1756年1月27日 - 1791年12月5日)はオーストリアの音楽家です。ハイドン、ベートーヴェンと並んで古典派を代表する一人です。モーツァルトの作品には、当時流行していたロココ様式あるいはギャラント様式と呼ばれる、長調で装飾音の多い軽快で優美な曲が多いのが特徴です。作品総数は断片も含めると900曲以上にも及び、声楽曲(オペラ、教会用の宗教音楽、歌曲など)と器楽曲(交響曲、協奏曲、室内楽曲、クラヴィーアソナタなど)のあらゆるジャンルにわたっています。
ベートーヴェン(1770-1827)
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven、1770年12月16日ごろボン - 1827年3月26日ウィーン)は、ドイツの作曲家、ピアニストです。音楽史上極めて重要な作曲家の一人であり、日本では「楽聖」とも呼ばれています。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされ、後世の音楽家たちに多大な影響を与えました。
ピアノ・ソナタ第1番
アンダーソン(1793?–1876?)
シューベルト(1797-1828)
フランツ・ペーター・シューベルト(Franz Peter Schubert、1797年1月31日 - 1828年11月19日)は、オーストリアの作曲家です。各分野に名曲を残していますが、とりわけドイツ歌曲において功績が大きく、歌曲の王と呼ばれることもあります。音楽史的には古典派とロマン派の橋渡し的位置にあります。シューベルトがのちの作曲家に与えた影響は大きく、シューマン、メンデルスゾーン、ブラームス、ブルックナー、ドヴォルザークなどが、彼の音楽を愛しその影響を受けています。
メンデルスゾーン(1809-1847)
ヤーコプ・ルートヴィヒ・フェーリクス・メンデルスゾーン・バルトルディ(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy, 1809年2月3日ハンブルク - 1847年11月4日ライプツィヒ)は、ドイツ・ロマン派の作曲家、指揮者、ピアニスト、オルガニストです。幼少期から神童として優れた音楽の才能を示しました。またメンデルスゾーンは著名な指揮者として自作や他の作曲家の作品を演奏しており、彼の指揮を称賛していたベルリオーズは、1843年に彼をライプツィヒに招いて互いに指揮棒を交換しています。
ショパン(1810(09?)-1849)
フレデリック・フランソワ・ショパン(Frédéric François Chopin;Fryderyk Franciszek Chopin、1810年3月1日(2月22日(出生証明の日付)、1809年3月1日説もあり)- 1849年10月17日)は、ポーランドの前期ロマン派音楽を代表する作曲家です。当時のヨーロッパにおいてもピアニストとして、また作曲家として有名でした。その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、ピアノの詩人とも呼ばれています。様々な形式・美しい旋律・半音階的和声法などによってピアノの表現様式を拡大し、ピアノ音楽の新しい地平を切り開きました。
ソステヌート(ワルツ第18番)変ホ長調 B.133
シューマン(1810-1856)
ロベルト・アレクサンダー・シューマン(Robert Alexander Schumann, 1810年6月8日 - 1856年7月29日)は、ドイツ・ロマン派を代表する作曲家です。ベートーヴェンやシューベルトの音楽の後継者として位置づけられ、交響曲から合唱曲まで幅広い分野で作品を残しています。音楽評論活動も知られており、1832年にライプツィヒの「一般音楽新聞(Allgemeine musikalische Zeitung)」に投稿した「諸君、脱帽したまえ、天才だ」という有名な論文でショパン(1810年 - 1849年)を紹介しています。
子供のためのアルバム
ワーグナー(1813-1883)
ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner、1813年5月22日 - 1883年2月13日)は、歌劇の作で知られる19世紀のドイツの作曲家、指揮者、思想家です。ロマン派歌劇の頂点であり、また「楽劇王」の別名で知られます。ほとんどの自作歌劇で台本を単独執筆しており、理論家、文筆家としても知られ、音楽界だけでなく19世紀後半のヨーロッパ文化に広く影響を及ぼした中心的文化人の一人でもありました。
結婚行進曲
リンク先はオペラのスコアで、楽譜のタブにある「Arrangements and Transcriptions」から
結婚行進曲のピアノ楽譜が置いてある箇所に辿り着けます(スクロールした下の方です)。
ランゲ(1830-1889)
グスタフ・ランゲ(Gustav Lange、1830年8月13日 - 1889年7月20日)は、ドイツの作曲家、ピアニストです。作品番号にして493の楽曲があり、その多くはピアノ独奏のためのサロン小品です。作風は大変ロマン的で、優雅で、軽快なものが多く、一般ピアノ愛好家たちの間で広くもてはやされ、ヨーロッパを中心に広く流行しました。《花の歌 Blumenlied》 作品39は現在に至るまで日本でも人気の高い作品です。
ブラームス(1833-1897)
ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms、1833年5月7日ハンブルク - 1897年4月3日ウィーン)は、19世紀ドイツの作曲家、ピアニスト、指揮者です。J.S.バッハ(Bach)、ベートーヴェン(Beethoven)と共に、ドイツ音楽における三大Bとも称されます。作風はおおむねロマン派音楽に属しますが、古典主義的な形式美を尊重する傾向もあります。ベートーヴェンの後継者ととらえる人もおり、指揮者ハンス・フォン・ビューローは彼の『交響曲第1番』を「ベートーヴェンの交響曲第10番」と評しました。ブラームスはロマン派の作曲家の中で最も古典派に近いと考えられており「新古典派」と呼ばれることもあります。
6つの小品 作品118
51の練習曲
バダジェフスカ(1834(8?)-1861)
テクラ・ボンダジェフスカ=バラノフスカ(Tekla Bądarzewska-Baranowska、1834年/1838年 - 1861年9月29日)は、ポーランド出身の女性作曲家・ピアニストです。ボンダジェフスカ(バダジェフスカ)は本格的な音楽教育は受けていませんでしたが、サロンでのピアノ演奏家として活躍し自ら作曲も行っていたようです。1856年、18歳/22歳頃に作曲した『乙女の祈り』がパリの音楽ニュース雑誌に掲載され、その名が広く知られるところとなりました。この曲を含め小品を35曲ほど作曲したましたが、1861年に病弱のためにワルシャワにて23歳/27歳ほどで夭折、彼女に関する作品や資料の大半は第二次世界大戦等により消失したため、現在では『乙女の祈り』以外にはほとんど知られていません。
チャイコフスキー(1840-1893)
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(Peter Ilyich Tchaikovsky、1840年5月7日(ユリウス暦4月25日)- 1893年11月6日(ユリウス暦10月25日))は、ロシアの作曲家です。叙情的でメランコリックな旋律や、絢爛豪華なオーケストレーションなどで人気の作品が多く、とりわけ後期の交響曲・バレエ音楽・協奏曲などが愛好されており、バレエ音楽「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」の3曲はチャイコフスキーの三大バレエとして知られています。
子供のアルバム
ドヴォルザーク(1841-1904)
アントニーン・レオポルト・ドヴォルザーク(Antonín Leopold Dvořák、1841年9月8日 - 1904年5月1日)は後期ロマン派におけるチェコ国民楽派を代表する作曲家です。ブラームスに才能を見いだされ、『スラヴ舞曲集』で一躍人気作曲家となりました。スメタナとともにボヘミア楽派と呼ばれています。その後、アメリカに渡り、音楽院院長として音楽教育に貢献する傍ら、ネイティブ・アメリカンの音楽や黒人霊歌を吸収し、自身の作品に反映させています。
フォーレ(1845-1924)
ガブリエル・ユルバン・フォーレ(Gabriel Urbain Fauré、1845年5月12日 - 1924年11月4日)はフランスの作曲家です。フォーレは、リスト、ベルリオーズ、ブラームスらが成熟期の作品を生み出していたころに青年期を過ごし、古典的調性が崩壊し、多調、無調の作品が数多く書かれ、微分音、十二音技法などが試みられていた頃に晩年を迎えています。フォーレは音楽史上に残るような新たな様式を打ち立てたりはしていませんが、シャブリエとともに、ドビュッシー、ラヴェルへの橋渡しといえる存在であり、19世紀と20世紀をつなぐ役割を果たしています。
マリー(1852-1928)
エルガー(1857-1934)
ドビュッシー(1862-1918)
クロード・アシル・ドビュッシー(Claude Achille Debussy、1862年8月22日 - 1918年3月25日)は、フランスの作曲家です。長音階・短音階以外の旋法と、機能和声にとらわれることのない自由な和声法などを用いて独自の作曲を実行し、その伝統から外れた音階と和声の用い方から19世紀後半から20世紀初頭にかけて最も影響力を持った作曲家です。ドビュッシーの音楽は、代表作『海』や『夜想曲』などにみられる特徴的な作曲技法から、「印象主義音楽(印象派)」と称されることもありますが、本人は印象主義音楽という概念に対して否定的であり、テクスト(詞)やテーマの選択は象徴派(象徴主義)からの影響が色濃く反映されています。
子供の領分
- 第1曲 「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」 (Doctor Gradus ad Parnassum)
- 第2曲 「象の子守歌」 (Jumbo's Lullaby)
- 第3曲 「人形へのセレナード」 (Serenade of the Doll)
- 第4曲 「雪は踊っている」 (The Snow is Dancing)
- 第5曲 「小さな羊飼い」 (The Little Shepherd)
- 第6曲 「ゴリウォーグのケークウォーク」 (Golliwogg's Cakewalk)
サティ(1866-1925)
エリック・アルフレッド・レスリ・サティ(Érik Alfred Leslie Satie、1866年5月17日 - 1925年7月1日)は、フランスの作曲家です。音楽界の異端児、音楽界の変わり者などと称されます。西洋音楽に大きな影響を与えたと見なされており、ドビュッシー、ラヴェルもその影響を公言しています。それまでの調性音楽のあり方が膨張していた時代に、彼は様々な西洋音楽の伝統に問題意識を持って作曲し続け、教会旋法を取り入れたり、1音符ごとに有効な臨時記号といった自由な調性感や、気紛れに変動する拍節による自由な拍子感など、革新的な技法を盛り込みました。
ピカデリー
ジョプリン(1867(8?)-1917)
スコット・ジョプリン(Scott Joplin, 1867/1868年 - 1917年4月1日)はアメリカ合衆国のアフリカ系アメリカ人の作曲家、ピアノ演奏家です。ヨーロッパのクラシック音楽とアフリカ系アメリカ人のハーモニーとリズムを結びつけた「ラグタイム」で有名な演奏家・作曲家であり、「ラグタイム王」(King of Ragtime)と呼ばれています。
メイプル・リーフ・ラグ
ラフマニノフ(1873-1943)
セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ(Sergei Vasil'evich Rachmaninov、1873年4月1日 - 1943年3月28日)は、ロシア帝国出身の作曲家、ピアニスト、指揮者です。チャイコフスキーの薫陶を受け、モスクワ音楽院でタネーエフに学んだことから、モスクワ楽派(音楽院派、西欧楽派などとも)の流れを汲み、西欧の音楽理論に立脚した堅固な書法を特徴としました。一方で、親交のあったリムスキー=コルサコフの影響や民族音楽の語法をも取り入れて、独自の作風を築きました。ロシアのロマン派音楽を代表する作曲家の1人に位置づけられます。
ラヴェル(1875-1937)
ジョゼフ・モーリス・ラヴェル(Joseph Maurice Ravel、1875年3月7日 - 1937年12月28日)は、フランスの作曲家です。「オーケストレーションの天才」、「管弦楽の魔術師」と言われる卓越した管弦楽法と「スイスの時計職人」(ストラヴィンスキー談)と評された精緻な書法が特徴です。ラヴェル自身は、モーツァルトおよびクープランから強く影響を受けていると主張しており、またシャブリエ、サティの影響も挙げ、「グリーグの影響を受けてない音符を書いたことがありません」とも述べています。スペイン音楽・ジャズに加え、アジアの音楽および民謡を含む世界各地の音楽に強い影響を受けていたとされています。
滝廉太郎(1879-1903)
瀧廉太郎(たき れんたろう、1879年8月24日-1903年6月29日)は、明治日本の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家、ピアニスト、作曲家の一人です。1901年4月6日、日本人の音楽家としては3人目となるヨーロッパ留学生として出国し、5月18日にドイツのベルリンに到着後、ライプツィヒに向かい、ライプツィヒ音楽院(設立者:メンデルスゾーン、当時の学院長:ライネッケ)に入学しましたが、11月に肺結核を発病し帰国を余儀なくされます。1902年7月10日にドイツを発ち、10月17日に横浜に到着した後は大分県で療養していましたが、1903年6月29日死去しました。
レスピーギ(1879-1936)
オットリーノ・レスピーギ(Ottorino Respighi、1879年7月9日 – 1936年4月18日)は、イタリアの作曲家・音楽学者・指揮者です。前半生は演奏家、とりわけヴァイオリン奏者やヴィオラ奏者として活動しましたが、その後は作曲に転向しました。近代イタリア音楽における器楽曲の指導的な開拓者の一人として名高く、「ローマ三部作」と呼ばれる一連の交響詩(《ローマの噴水(Fontane di Roma)》、《ローマの松(Pini di Roma)》、《ローマの祭り(Feste Romane)》)が広く知られています。16世紀から18世紀の音楽に対する関心から、古楽に基づく作品も遺しました。
バルトーク(1881-1945)
バルトーク・ベーラ・ヴィクトル・ヤーノシュ(Bartók Béla Viktor János、1881年3月25日 - 1945年9月26日)は、ハンガリーに生まれ、アメリカ・ニューヨークで没したクラシック音楽の作曲家、ピアニスト、民俗音楽研究家です。作曲以外にも、民俗音楽学の祖の1人として東ヨーロッパの民俗音楽を収集・分析し、アフリカのアルジェリアまで足を伸ばすなどの精力的な活動を行いました。またフランツ・リストの弟子トマーン・イシュトバーン(1862年11月4日 - 1940年9月22日)から教えを受けた、ドイツ・オーストリア音楽の伝統を受け継ぐピアニストでもあり、コンサートピアニストやピアノ教師としても活動しました。